自分たちが作ったシステムに苦しめられる喜劇のような悲劇。アメリカン・ファクトリー感想

  • by

前回の続きものでも書こうかと思っていのたのだけれど、ダラダラ作業しながらNetflixで流していたアメリカン・ファクトリーが超面白かったので雑に感想を書こうと思う。

この映画は2019年作成のアメリカのドキュメンタリー映画。かつて、ゼネラル・モーターズが一社で産業が成り立っていたような街オハイオ州デイトン・モレーンは、1万人以上の失業書を出し不況に喘いでいた。そんなか、救いの手が差し伸べられる。同じく自動車用のガラスを作っていた、中国企業の福輝(フーヤオ)が同じ工場を使って雇用を創出するというのだ。

街は救世主の降臨に色めきだつが…というストーリー。興味がある人はぜひぜひ、Netflixで見てみて下さい。

予告動画




以下ネタバレ全開です。

この映画はアメリカと中国の文化の違い、働き方の違いから初めはお互いに協力しようとしていた双方が、労働組合の作成が引き金になって次第に対立が深まっていくというのが大まかなあらすじ。

前半部はコメディータッチで笑えるシーンも多い。特に印象に残ったのが、アメリカの工員の成績優秀者が中國に研修に行くシーン。昼間は中國の工場の見学を行い、中國の労働者の徹底的なこだわりにアメリカの工員達は深い感銘を受ける。自分たちももっとできるはずだと奮い立つのだ。そして、夜は中國側がアメリカの工員たちを全力でもてなす。ここが最高に笑える。というのも、アメリカ人たちがあまり楽しそではないのだ。それもそのはず、日本人の俺からみても楽しさが全くわからない、北朝鮮間溢れる謎のダンスなどがパーティで披露されているからだwにも関わらず、最後は中国人とアメリカ人が一緒になってYMCAを踊るという…80年代の日本ですかw

が、後半からだいぶ雲行きが怪しくなってくる。というのも、アメリカ側、中国側の働くことへの意識が異なっているのだ。

アメリカ側(アメリカの工場の工員側)からすると、フーヤオの働き方はブラック過ぎる。給料は安いし(記憶があいまいなのだけれど、ゼネラル・モーターズ時代が時給29ドルぐらい、現在は14ドルという女性工員の証言があった気がする)、休憩は少ないし、一人あたりの作業量は多い。

印象に残っているのがアメリカ人の工員の「中国人はおかしい。座っているダンボールに火がついていたのに仕事をしていた」という証言。マジかよw

一方中國側から、するとアメリカ人は働かなすぎる。国や社会に奉仕しようとする気もなく、自分たちの利益ばかりを出張する。挙げ句の果てに、生産性を下げるだけ百害あって一理なしの労働組合を作ろうとする。これなら、中國で中国人を雇った方がマシだとなる。

こうみると、一見この話は2国の文化の違いがこの問題の根底にあるように思える。だが、実はそうではない。アメリカ人が自ら作り出し(正確には産業革命期のイギリス)、心酔し、世界中に広めまくったシステムに自らが苦しめられているという話なのである。そのシステムの名前は資本主義という。

自由民主主義と資本主義の国アメリカはその圧倒的な経済力と軍事力を背景に、世界中に(色々入り混じっているとは思うのだけれど、恐らくは基本的には善意で)、その主義、主張、システムを広めようとした。そして、世界中の多くの国で実際にそれが広まった。1980年代の終わりにソ連というライバルをなくしてから、世界中はグローバル化したと言われるがその本質はアメリカ化である。

旅をすればわかるのだけれど、世界中のいたるところ(特に大都市の近郊)が似たような風景になっているのがわかる。不気味なぐらいである。特にこの10年間ぐらいの変化が顕著だ。さらに言うと、アメリカ化の最右翼である日本は田舎の風景すらもアメリカの田舎そっくりになっている。駐車場つきの大きなショッピングモールが、地域の中心としてあり、中にはユニクロ、H&M, ZARA, アメリカンイーグルが入っている。食事をするのは当然モール内のマクドナルドだ。

このように広まりまくったアメリカ化であるが、面白いのが僕が観察する限り2つの大きな例外が存在することである。

一つめは、文化的宗教的な背景がベースにありアメリカ化が遅々として進まなかった国々だ。ヨルダン、レバノン、シリアなどのイスラムの中東の国々である。そもそも、中等の国々の国境は西洋の国々が恣意的に引いたものである(国境を実際に見てみればわかる。あんな直線的な国境がありえるだろうか?)。もともとイスラム法のもとにゆるくまとまっていた地域なので、自由民主主義と資本主義はおろか国家という概念も「合っていない」可能性が高い。この辺は中田考先生の本が詳しくかつ面白いので、ぜひ読んでみてほしい。

アメリカは(石油利権と善意の入り混じった)複雑な動機で、中途半端に中東地域に干渉し、中途半端にアメリカ化を進めてしまった。結果、中東地域は大混乱に陥ってしまった。この辺の経緯は知りたい人はリチャード・エンゲルの「戦場記者が、現地に暮らした20年 中東の絶望、そのリアル」が臨場感があり、深い考察もありでとても面白いのでオススメである。

さて、2つ目の例外は、こちらのほうがある意味より面白いのだけれど、アメリカ化の一部である資本主義の働き方に「過剰適合」してしまった国々である。こちらの国々にあたるのが、中国、韓国、そしてかつての日本である。

資本主義の下では、資本家はお金もとに労働力を買い、買った労働力を使ってより価値のあるものを作り出す。そして、生まれた付加価値が資本家の利益に正の相関を示す。超単純にこの構図を式にすると以下のようになる。

付加価値=新しく生まれた価値ー労働力

式を見れば単純明快なのだけれど、資本家がこのゲームに勝つ方法は大きく分けて2つある。変数が2つなので当たり前だ。

1つは新しく生まれた価値を大きくすること。

もう一つは労働力を安くすることであるである。

前者の代表格がブランド商法である。非常に上手いイメージ戦略とマーケティングを駆使すれば、ロゴが入っただけのビニールのバックが数万円で飛ぶように売れるのだ(○ジェラのPVCにリンク貼ろうかと思ったけどさすがにやめときますw)。この戦略の賢いところは、資本主義的な価値の本質に実態などないと気づきいたことだと思う。

そして、もう一つの方法、労働力を安くする方法、を採ったのが中国、韓国、日本の製造業だ。労働力を安くするとはどういうことか?シンプルに時間あたりの労働者の賃金を下げながら、労働者のスキルを上げるのだ。こうすることで、安価で性能の良いモノを提供することができる。

これも恐らくなのだけれど、文化的な背景が「合っていた」せいでこれらの国々の製造業はあっという間に世界を席巻してしまった。

特に面白いのが中国である。なぜなら、中国はそもそも資本主義に反対する社会主義の国だった(今も形式上は社会主義)からである。が、鄧小平の二つの有名な原則、「発展こそ揺るぎない道理だ」「黒い猫であれ白い猫であれ、ネズミを捕るのが良い猫だ」の名のもとに徐々に資本主義をその中に取り入れていった。そして、グローバルな競争に勝つために、アメリカの資本主義に「過剰適合」してしまった。その「過剰適合」したやり方が本国アメリカに逆輸入され、アメリカ人を苦しめている。これがアメリカン・ファクトリーの構図であるように僕には思える。


わかりやすいように日米の野球に例えよう。アメリカで生まれたベースボールが日本に渡り、似ているようだが微妙に違う野球になった。(ここからは必ずしも現実とは一致していない)野球は日本人に「合っていた」ので独自に発展し、アメリカのベースボールは野球に勝てなくなった。ので、アメリカ人は野球の選手をアメリカに招待し、ベースボールではなく野球を教えてもらうことにした。が、野球の練習はキツかった。ひたすら走り込みとかやっている。アメリカ人は「キツくてこんなもんやっていられない」という。日本人は、「こんなぬるい練習じゃ一生野球で勝てるわけがない。野球なめてるのか」という。アメリカン・ファクトリーはそんな映画である。

自分たちが広めまくったものが回り回って自分たちを苦しめている。喜劇のような悲劇が現実に起こっているのだ。

このシステムは本当に正しいのだろうか?誰もが疑問に思うことだろう。実は、その疑問に対してこの映画の中で深く考えているように思えるのが、アメリカ側ではなく中国側の、福輝(フーヤオ)創業者の曹(ツァオ)会長であるように思える。

彼は映画の後半で「この数十年でいくつもの工場を作った。ただ、同じだけ国土を破壊した。自分が功労者なのか、罪人なのかわからなくなる。だが、仕事は楽しい。生きがいだ…」と語っている。彼は年齢から考えて、社会主義者の教育を受けているはずだ。そして、社会主義とは名ばかりの資本主義のレールに乗って成功してしまっていることに葛藤があるように見えた。葛藤はあるのだが、このレールに一度乗ってしまったら降りることは許されない。そこに悲哀を感じる。

この映画は福輝のアメリカ工場が黒字化したこと、そして従業員が機械にどんどん置き換えられていくところで終わりを迎える。究極に安い労働力は人間ではなく、機械だからだ。このシフトが止まることはないだろう。それが、労働者を幸福にするのか?経営者を幸福にするのか?誰にもまだわからない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です