ダライ・ラマに会いに行く旅 インド ダラムサラ 5日目 講義2日目 信じるな考えろ

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目覚めて部屋の中で少し運動。

クッション(着替えを入れた圧縮袋w)とラジオと念のために予備のバッテリーを持ってメインテンプルへ。昨日よりちょっと遅かったようで入場シーンは見ることができず。昨日と同じような席に座る。

今日印象的だったのは

仏教では祈っても、幸せにはならない。釈迦は素晴らしい人だが、信仰すればその手に悟りを授けてくれるわけではないということだ。幸せになるために解脱に至るにはそれぞれの努力が必要で、つねに真理について考えなさいということだった。では、なぜ釈迦が素晴らしいのか言えば、修行のやり方方法論を示してくれたことにあるということだった。
故に仏教の教えがいつも正しいわけではない。例えば、昔仏教では世界は平らであると考えられていたが、それは現在では明らかに間違いであると判っている。だから、仏教の教えを無批判に信じてはいけない。大事なのは真理に至る方法論であり、その方法論を学ぶことである。それが21世紀に生きる仏教徒ということだ。物事の事象そのものを捉え、論理的に本質に至ること。俺はそれはまるで科学そのもであるように思えた。
釈迦や時代ごとの高僧達は数学その他の道具が揃っていない状態で物事の本質に思考と観察みで本質に迫って行ったのではないだろうか。すごいのがこの21世紀(ウィッテンによれば超弦理論は22世紀の数学が間違って来てしまったのだそうだがw)、時点での結論に近い量子力学と超弦理論とほぼ同じ結論に至っていることだ。

本質を理解すること。それが幸せにつながるのだろうか?例えその本質が幻であったとしても。

意識と輪廻についての話も興味深かった。
脳科学者が研究しているのは、表面的な「荒い」意識に過ぎない。これは、五感に対する反応と言い換えても良い。五感がなくても存在する意識、思考については何も説明できていないというものだった。物質的なアプローチでは、非物質的な意識については解明できないのでないか。ということだった。
この点については、完全には賛同はできない。ただ俺も意識が非物質的なもので(波みたいなもんじゃねーかなと最近は思っている)解剖学的なアプローチで解決はできないと思う。多分、脳だけじゃなくて体全体で構成されたネットワークについて調べるしかない。ただこのネットワークを検知or再現することはいずれ可能になるはず。これは物質的なアプローチということになる。

そしてネットワークが意識の本質ならばそれが物体ではないとういことは仏教の教えに一致する。問題はこのネットワークを伝達するようなメディアがちょっと想像できないことだ。

仏教は実際にあった事象として前世を覚えている少女のことなどを例に出していた。
確かにこのような事象は世界中にあるので完全に否定するのはおかしいのだけれど。ここは難しいところだと思う。観察を完全に否定するのは科学の目にも、仏教の目にも反しているようにも思えるのだ。ただ、外れ値をある程度無視しないと先に進まないことがるのも事実(そこに真理が隠れていることも多いのだけど)だと思う。

執着と愛情は違う。執着していなければ、別れても悲しくはないはず。

この世に止まっていることは一つとしてない。全ては移り変わっていく。凄く合点が行く。

ここまで書いて思ったけれど、俺が特に仏教について興味を持っているのはこの世界の捉え方なんだと思う。

午後は宿を移動。dsc02743-2 dsc02734-2

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ペンション型の宿へ。ここは宿名なし。ただ、窓から見える景色がすごく綺麗で一泊400INRと格安。中心地からは10分ほど離れているけどここならOK
鍵がぶっ壊れるなどトラブルがあるが、なんとか対応。

夜ご飯を食べた帰り道、ふと見たマクロードガンジの景色を見て何かに似てるなと思う。少し考えてああ、この景色は長崎だ気づく。何千キロも離れて、本当の故郷も通り過ぎてなぜか故郷に似た場所に落ち着く。本当に素直じゃないないなと苦笑い。

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