本日は聖ソフィア大聖堂などのキエフ市内の観光を行う日。
出発が遅めなので朝は時間に余裕がある。朝食は同行者のアーティストの方2人と。驚いたのが、アーティストが展覧会などを開く為に補助金を国から交付してもらうプロセスが、我々が研究費を得るプロセスと殆ど一緒だったこと。笑ってしまった。これについては思うことはあるので、いつか機会があれば書きたいと思う。

また、このお二人からインスタレーションとは何かについてレクチャーしてもらう(アーティストの方のうち一人の得意の表現技法がインスタレーションだった)。超要約すると、空間全体で何かを表現する技法のことらしい。

聖ソフィア大聖堂へ。今回1,2位を争うほど見応えがある場所で、チェルノブイリの後に見るとチェルノブイリの謎の答えを提示してくれているような場所だったので内部は撮影禁止だったのはとても残念。以下文章ばかりで申し訳ないのだが感想を列挙。

 

1.聖ソフィア大聖堂の内部構造そのものが大きなインスタレーションになっている
朝覚えたばかりのにわか知識を積極的に使っていくスタイル。レクチャーありがとー。通路が十字上に配置されており、窓ガラスも十字の意匠になっている。中央には空間があり、その真上にはイエスと12使徒のモザイクが。十字の先には銀の扉がある。設計者はこの構造を(頭の中で)俯瞰的に眺めて作っていたのだなということがよくわかる。

2.落書きがアートになっている
モザイクの上に何やら、よくわからない文字?記号が書いてあり、それを含めてとても味わい深いものになっている。話を聞くと意味のある文字の場合もあるのだけど「昨日は風が強かった」などと完全に落書きのようなものあるらしい。プリピャチで見たグラフティに似ているが、よりプリミティブなものが時を経てアートとして成立しているように思えた。

3.教会の配置と計器と操作盤の配置
ここはちょっと自分の中でも完全に消化しきれていないので、粗い論じ方になってしまう。先ほど述べた通り、ソフィア大聖堂の内部中央奥には銀の扉がある。この奥には祭事の際には王様も含めて(王様は二階に専用のスペースがある。)人間は入らないらしい。つまり、誰もいない扉に向かって神官達が儀式が行われていたということらしい。扉を挟んだ奥側に目に見えない大きな何かに限られた人間がアクセスをしていたと。そしてこの構図はチェルノブイリの制御室と同じもののように思える。あの、タコメータとライトで作られたモニタの奥に大きな何か≒原子力を設計した人間は感じていたのではないか?チェルノブイリの制御室をみたときの違和感の正体は何となく理解できたような気がする。俺が制御室を設計するなら多少区分けにしても、モニタと操作盤を接近させる。当時は技術的に小型化が難しいという制約があったのかもしれないが。

4.石棺
これはそのまま。王様の遺体が収められているのは石棺。そして、事故が起こった原子炉を封じ込めたのも石棺。王様の石棺と旧石棺は形も似ている。

午後はおしゃれなカフェで食事をとった後(ウサギの肉がとても美味しかった)、大祖国戦争博物館へ。入り口近くから大量の兵器が置いてありテンションが上がる!

 

元々は第二次世界大戦でのソ連の対独戦争を扱う歴史博物館であったのらしいのだが、現在はウクライナの戦争博物館としての意味合いが強くなっている。

 

入り口の展示もウクライナ東部紛争のものになっていた。
独ソ戦については全く知識がなかったのだけれど、流れとしては手を組んでポーランドを攻めていたソ連が、後に仲違いしたという話らしい。当然主な戦場になったのはソ連の西側=ウクライナなわけで、キエフは一度完全にドイツに占領された。この博物館があるのは小高い丘の上なのだけれど、ここは戦略的に重要な場所なのでこの場所をドイツ軍が占領し、ソ連がなんとか取り返そうとしていたと。最終的には物資に勝るソ連がウクライナ全域を取り戻すことになる。

 

この博物館を見て、ウクライナとロシアの複雑な関係が少し理解できた気がする。
ウクライナ側からすれば、ロシア≒ソ連はドイツから解放してくれた相手である。一方さらに遡って、キエフルーシという視点でみれば分家であるロシアが主家あったウクライナを帝政ロシアに組み込み、長い間抑圧していたというふうにも捉えることができる為、単純に賞賛はできない。しかも、クリミア半島にも難癖をつけて手を出してくる。

一方ロシア側からすれば、せっかくドイツから救い出してやったのに再度独立するなんで恩知らずの民族だということになる。どちらにも言い分があるが、個人的には独自の文化があり、その文化を中心に纏まっている民族があるのなら自治と独立を認めた方がうまくいくような気がしている。これは、チベットで学んだことだ。文化の多様性を守るといことは何より大事なことのように思える。

 

大祖国博物館の最後の慰霊の為のホールは展示のやり方が非常にimpressiveだった。解説によると、この展示に関わった方はチェルノブイリ博物館の展示に関わった方と同一人物らしい。納得。

 

全ての展示が終わった先には中央ホールが。天井をみると特徴のレリーフを発見。東さんに指摘されて気付いたのだが、このレリーフの配置は中央がイエスからソ連の国旗に変わっているだけで、ソフィア大聖堂の天井と同じ。ここでもウクライナの人の無意識が表象している。

 

東さんがホールで並んでいる人に気付き、Rodina Mat(大祖国戦争博物館の上の女神像)に登れるのでは?と推理。ノリのよかったその場6人程で速攻でチケットを買いに走る。
怪しいエレベータを上がると上は絶景!キエフのほぼ全域を眺めることができた。実はさらにもう一段上に上がれるらしいのだが、それは次の機会に。

 

場所を移して、自身も著名なフォトグラファーで後進の育成も行っているマルシチェンコ氏へお話を伺いに行く。場所はマルシェンコ氏のオフィス兼、彼が主催している写真学校。とてもお洒落な場所でぜひ写真で紹介したいところなのだけれど、あいにくのバッテリー切れ(泣)。ここでもとても興味深い話をいくつも聞く。一番驚いたのはウクライナ東部紛争の戦地は元々炭鉱の街であったこと。そして現在戦地は混迷を極めており、貨幣経済が破綻して物々交換が行われているという話だった。

 

場所を移して、最後の飲み会!

 

ジャチェンコさんから嬉しいプレゼント貰う。

 

例の如く飲み過ぎてレベルがJCSI-3程度に低下。場所を移して夜明け近くまで飲み会は続いた。