7日目

今日は5時起き。ポーランド来てから体調が良く短時間でもしっかり眠れる。食事の摂取量の問題?

EIPはグダニスク行きとは違い普通の列車みたいな感じ。3×2の個室キャビンがいくつも並んでいる。日本ではあまりみないタイプ。ワルシャワ迄は2時間半だけど、書き物をしていたのであっという間だった。ワルシャワで列車の遅延があり、予定の便とは違う列車に乗り換え。

飛行場では、自動チェクイン機で搭乗券を発券(日本ではできなかった。代わりに謎の紙が出てくる謎システム笑あの紙なんの意味あんの?)

行きは気づかなったが、ワルシャワ空港は手荷物検査を国内線と国際線で共通で行いそこに沢山のモールがある。そのモール内にパスポートチェックがある珍しいタイプ。プライオリティ・パスで入れるラウンジの居心地が良すぎて、お土産を買い忘れると失態を犯すw仕方ないのでトランジット先のモスクワでお土産を購入して(お土産とは…)日本へ。

 

最初にも書いたけれど、今回アウシュビッツへ向かうことにしたのはゲンロンチェルノブイリーの影響が大きい。大まかにはジャンルとしては同じダークツーリズムであったとは思うのだけれど、得られた体験は全く違ったものであった。この理由について少し書いてみようと思う。

 

衝撃度

これはアウシュビッツの方が大きかった。ソロで参加していた、天候(アウシュビッツは曇り雨、チェルノブイリは晴天)なども影響していると思われるが、一番大きな理由は起こった出来事が要約可能かどうかということだと思う。チェルノブイリは事故もその周辺も複雑過ぎる(というかその様に見せてくれていた)。一方で、アウシュビッツは「ナチスが超危険な思想に従って虐殺を行った。」現場である。シンプルにヤバい。実はアウシュビッツを作ったハインリヒ・ヒムラーは若い頃気弱でとても優しかったとか、背景らしい背景もあるにはあるが人間が意思をもって行っているので、これはアカンという結論にしかならない。一方、チェルノブイリは色々あったがあくまで事故。誰かが起こしたくて起こしたわけじゃない。恣意性の有る無しはチェルノブイリとアウシュビッツの本質に近い違いだと思う。

 

立体感

これは先程の裏返しになるのだけれど、チェルノブイリの方が明らかに上だった。理由はいくつかあるが、1番はチェルノブイリにおけるはゲンロンの皆さんの見せ方だと思う。様々な立場の人、場所をそれとなく組んでくれており、それらが線として繋がって事故が浮かび上がっている。参加当時から上手いなとは思っていたが、ソロでダークツーリズムに行って改めてそれを実感した。

アウシュビッツは説明は確かにとても上手だったのだけれど、一箇所で立体感出すのは不可能に近い。ただ、これは場所の特性というよりも無計画にソロで行ってしまったことが主たる原因だと思う。場所が離れているので中々大変だけど、ワルシャワのユダヤ人博物館とか、蜂起博物館、あとはドイツ側からの視点をどうにか入れれば立体感は出てくる気がする。

 

 

同行者の有無

そして、一番異なったのは同じ体験をしてその内容について語りあう仲間の存在である。彼らの存在をは大きかったのだなと感じる。語りあう仲間がいることによって得られることは2つあると思っていて、1つは仲間とその内容をを語らう為に強制的にoutputを行うことである。inputとoutputを交互に連続的に行うことで情報はうまく処理されると思っているのだけど、ソロで行くと俺の様なタイプは明らかなインプット過多になる。書いてoutputするのが一番なのだけれど、話すだけでも全く違う。

2つ目は自分と違う視点が手に入るということ。エミュレートを行って沢山の視点を得ても、やはり限界があり自分では気づかない視点というものが絶対にある。この自分では気づかない視点というものがとても貴重で、新たな知見を与えてくれる。チェルノブイリツアーに一緒に行った友人達が、アウシュビッツに行ったらどのようなことを考えるのかなと気になった。

 

 

 

最後に。この2つの体験の違いは、思考方法という意味でも当然大きく違う。衝撃的な出来事がありそれにシンプルに反応するアウシュビッツ的な思考と、衝撃的ではあるが複雑なものにシンプルな回答をせず複雑性さを受け入れるチェルノブイリ的な思考。毎日衝撃的な事があり(半分はそのようなものがあると思い込まされ)、日々がまるでダークツーリズムのようになってしまった今の時代により大事なのはチェルノブイリ的な思考な気がしている。いつか、詳しくこのことについて書こうと思う。