タイの作家から語られる15年越しの「ハイウェイ」

  • by

僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって

ひとつめはここじゃどうにも息がつまりそうになった

                                             くるり「ハイウェイ」

とても読後感の良い本を読んだので、感想を書いておこうと思う。

読んだ本はタイのベストラー作家、プラープダー・ユンの「新しい目の旅立ち」である。

この本は少し行き詰まった作家が訪れた「黒魔術の島・シキホール島」に滞在した際の旅行記である。ただ、一般的な旅行記とはかなり趣の違う内容であり、内容の殆どは彼が旅先での思考である。

彼自身も本文内で

“フィリピン、シキホール島への調査の旅は、ぼくの思考の大きな転換点だったと言える。だからこそ、ぼくはこの旅を書き起こして、ひとつの形にしようと思うようになった。”

“シキホールは美しい島かと訊かれれば、ぼくは美しいと答える。けれども、シキホールの美しさは、ぼくの思考における変化のプロセスにとってはほとんど重要ではなかった”

抜粋:: プラープダー・ユン/福冨渉  “新しい目の旅立ち”

と述べている。

これは僕にとってとても腑に落ちる内容だし(作家と比較するのもおこがましいが僕自身昔から何度も同じようなことをやっている)、一人旅が好きな人、というよりもどうしてなのかわからないが何度も一人で旅に出てしまうタイプ人間には何となくわかる感覚だと思う。

きっと旅で重要なのは、どこに行くかではない。予想もしない何かに出会い、そこで何を考えるかなのだ。

とまぁ、偉そうに書いているが、この感覚の言語化はほぼ受け売りである。詳しくは受け売り元である、「弱いつながり 検索ワードを探す旅 (東浩紀著)」を読んで欲しい。

さて、このような見方をするとプラープダー・ユンのシキホール島への旅は彼に取っての「検索ワードを探す旅」であったのだとも捉えられる。

事実、彼は旅先で偶然に出会った検索ワードから、いくつもの深い思考を広げていく。

個人的には「宗教と哲学の違い」、「形だけの地球愛護」についての思索が興味深かった。

是非本を手に取って読んでほしい。

しかし、一番のクライマックスはプラープダー・ユンが終盤で海を見つめて、意外な自分の本音に気づくシーンである。

この答えは、一見飛躍した意外なものではあるように思える。しかし、僕にとっては素直に入ってくる答えだった。何故ならば僕も旅先で何度も同じように感じたことがあったからだ。

そして、プラープダー・ユンの「新しい目の旅立ち」を読むことで長年くるりの「ハイウェイ」に対して抱いていた謎が解けた。

タイの作家の本を読んで、0年代の日本のロックバンドの曲の謎が解ける。まるっきり意味がわからない話だと思うがw説明させてほしい。

僕は個人的にくるりというバンドが好きで青春時代によく聞いていた。初めてCDTV(懐かしすぎるw)でワールズエンド・スーパーノヴァを聞いた衝撃は忘れられない。

上記のハイウェイは映画「ジョゼと虎と魚たち」のテーマソングとして作成されたものである。が、ここにひとつ大きな謎がある。歌詞が不思議なくらいに映画の内容とマッチしていないのである。「ジョゼと虎と魚たち」はラブストーリーで、「ハイウェイ」は旅について(歌っているように思える)歌である。これが、よくある流行りのバンドと映画の商業主義的タイアップなら全く問題がない。歌詞と映画の内容が合っていないのはある意味当然である。

しかし、映画「ジョゼと虎と魚たち」とくるりのタイアップはそうでない。というのも、音楽部分をくるりが担当し、「ジョゼと虎と魚たち」のサウンドトラックをくるりの名義で出しているのである。ここまで、深く関わっているのに映画と歌詞の意味が合っていないということはあり得ない。そうこの2つに関連性はあるのだ。きっと、その関連性を僕が見つけられていないだけなのだ。そう思い、何度も「ハイウェイ」を聞き返したがどうしても僕にはわからなかった。

謎を解き明かそうと思い、聴き始めた「ハイウェイ」だったけれども、そのうちこの曲自体が好きになってしまいふとした時によく聞くようになった。特に旅先で聞くことが多い。それも、旅の始まりではなく、夕方や夜に好んで聞いていた。この曲に忘れられない思い出がある。


北海道の秘境の温泉。



大学生ときに、バイクで二週間ほど北海道を彷徨っていたことがあった。お金がなかったので、当然基本野宿、無料で安く入れる温泉を常に探していた。富良野を一通り観光すると、少し離れた場所に温泉があることがわかった。1円でも安く済ませたかったので、その温泉に向かうことにしたのだけれど、向かう途中に「大雪山自然公園」の看板。地図で予想したよりも随分山深い場所にその温泉はあった。温泉は無人であったが、中々湯加減がよく、客は僕しかいなかったのでつい長湯をしてしまった。湯から出ると辺りは真っ暗な上に、霧に囲まれており、数メートル先も見えなかった。山を下ればよいのだけれど、霧が深すぎてどちらの方向が下る道なのかわからない。当たりをつけて、恐る恐る進み始めたが下っているのか確信が持てない。こんな状況が多分40分くらい続いた。数時間にも感じられた40分だった。キャンプ場を見つけたときの安堵感は忘れられない。その時に無意識に口づさんでいたのが、「ハイウェイ」だった。それから、「ハイウェイ」は僕にとって旅の終わりに聴く曲になった。

山の天気はすぐに変わる。




だから、「新しい目の旅立ち」のクライマックスでプラプダー氏が海を見つめるシーンを頭の中で思い描いた時に、僕ならきっとここで「ハイウェイ」を聞くだろうなと思った。そう思った時には頭の中で「ハイウィ」が流れていた。そうして、長年の疑問が解けたのだった。


タイのリペ島にて



前述したとおり、「新しい目の旅立ち」はプラプダー氏の旅の記録である。そして、その旅の本質はプラプダー氏自身が述べている通り、身体の移動でなく、思考の変遷にこそある。であるならば、旅に身体の移動は必ずしも必要ではないのではないか?そこに、何らかのドラスティックな思考の変遷があるならばその体験を旅と呼んでも良いのではないだろうか?

「ジョゼと虎と魚たち」は確かにラブストーリーである。ただ、普通のラブストーリではない。普通の大学生の恒夫が、乳母車に乗っている生まれつき足の不自由な少女ジョゼに恋をするという内容だ。そして、「ジョゼと虎と魚たち」は甘い恋の話ではない。ネタバレになるので細かい言及は避けるが、痛みを伴う成長の話だ。その過程で恒生(と恐らくジョゼも)の思考は大きく変わっていく。だとするならば、彼に(彼らに)とってその恋は一つの旅であったといえる。そう考えていたから、くるりの岸田繁は旅を歌った曲である「ハイウェイ」をジョゼと虎と魚たち」のテーマソングにしたのではないのだろうか。

この解釈が正しいのかどうかはわからない。それでも大事なことは、僕はプラープダー・ユンの本を読んで、彼の旅を追体験することで、15年続いた別の旅に終止符を打つことができたといことだ。

そしてもう一つ。思考の旅の最後に、プラープダー・ユン、恒夫、そして僕に去来する思いが奇妙な程一致していることはとても興味深い。この理由にはいつか考察してみたいと思う。

プラープダー・ユンは現在「新しい目の旅立ち」の続編となる日本編も執筆中とのことである。本書の売り上げによっては、日本語版も出版されるというのでぜひ期待したい。このような、マイナだけれど刺さる人には刺さる良い本を真摯に出し続けるゲンロンさんは素晴らしいと思う。

また、この本を読んで興味があればぜひ「ジョゼと虎と魚たち」を見て(原作版の短編小説も良いのでそちらでも)、くるりの「ハイウェイ」を聞いてみてほしい。

僕には旅に出る理由なんて何ひとつない

手を離してみようぜ

                                             くるり「ハイウェイ」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です